2013年7月16日 星期二

偶像が教えてくれたこと:偶像教會我的事



是咁的。
在第一學期修讀的日文課中,因為是一對一的關係所以得到了很intense的論文寫作練習。猶幸老師是超級大好人,即使寫作題材有點亂來她也由我自由發揮。花了三個多月,終於碼出了自己也不能相信的近8,500字。
這是一個關於偶像、失敗和成長的故事。抱歉暫時只有日文版本,有空有閒情逸致的話或許會有中文甚至英文版。或許。
 

彼らがいてくれたおかげで、私は強くなってきた― 
初めてKAT-TUNというグループを知ったのは2006年の春。中高生のとき、演技部に入った私はある先輩と仲がすごくいい友達になった。そこで、学業と演技だけではなく、何でも話す私たちはアイドルについて話した。先輩がKAT-TUNを紹介してくれた時、私はこの人たちは女々しいな、髪の毛も長いし、化粧もするし、と思った。


しかしある午後、次の日は試験があるのに、YOUTUBEでたくさん彼たちの番組を見た。野球や、サッカーなど運動に挑戦して、負けるなら罰ゲームがある(例えば青汁を飲む)KAT-TUN60という番組だった。非常に面白いので、見て止まらなかった。そして、見れば見るほど、いつからともなく、私はKAT-TUNのファンになっていた。最初のとき、田口君は一番かっこいいと思った。だが、ドラマ『野ぶたをプロデュース』を見たと、ドラマの主人公修二と私の性格はよく似ていると思って、ドラマの主役亀梨君は本命になった。

ここはエピソードがあります。小学校の頃、指輪物語(LORD OF THE RINGS)という映画が大好きだった。映画に関する二次創作を見て、同人誌と腐女子のことを初めて知った。だんだん男性の禁断の恋を気になってきました。男女の恋と違って、世間に認められずのに、堅持に愛するのは、何か悲しい感じする。

KAT-TUNのこともっと調べると、赤西君と亀梨君の微妙な関係がわかってきた。番組の中で、よく曖昧な直視や、交流があって、一緒に行動する目撃もたくさんあった。特に二人演出したドラマー『ごくせん2』を見たとき、この二人は、ただのメンバー、ただの友達ではないと思った!その気持ちで、ずっとパソコンの画面を見て、彼たちを応援していた。

2009年、高校に入るための公開試験のあと、急に彼たちの本尊に会いたい望みがあって、東京ドームでコンサートを見た。電気が消えた一瞬、お客さんはすぐ立って、興奮に叫んだ。ドキドキする私まだ反応できないや否や、KAT-TUN六人は爆発と共に、「パツ」と舞台の天井から降りてきた。一番最後の列でも、彼たちの姿出てきた瞬間、感動の涙も出てきた。「あれは本物だ!画面の中の人ではなく、本物だ!」と涙ながら言った。

それは13日連続東京ドームで行うコンサートだった。そんなに重要なイベントに参加できて、本当に嬉しかった。KAT-TUNは不良なイメージがあるが、一回コンサートに行って、彼たちの優しさと元気な姿を見て、力を注入されたようだ。一生忘れられないと思う。今度、必ずもっと近い席から見たいと決めたのに、予想外のことがあった。

衝撃的に2010年赤西君はKAT-TUNから退団して、アメリカでソロ活動を開始した。六人のKAT-TUNをずっと応援していた私にとって、本当に大きいショックを受けた。特に赤西君と亀梨君のことを思い出して、特に「六人一緒に頑張って、世界へ」と言ったのに、非常に悲しかった。失恋したような心の痛みを供って、その間、とても憂鬱で、母を心配させたぐらいだった。

そして2012年赤西君が結婚するとき、第二弾のショックが来た。赤西君と亀梨君ははっきり相手を愛しているのに(妄想?)、なぜ!?私の信仰は崩壊されたといっても過言ではない。しかし、こういうことがあっても、五人のKAT-TUNと赤西君を死ぬまで応援するつもりだ。彼たちの過去を知っているので、彼たちを守って、大切にしたい。この人たちのおかげで、私の心はどんどんダイアモンドように強くなった。

高校時代、皆は大学に入るのを目指した。しかし、同じく目指した私は大学の進路を決める公開試験で全部合格しても、納得した学科に入ることができなかった。高校卒業あとの進路を決めなくてならないが、あの時迷子のような自分に質問した、「一体何の人生の目標を持っているの?私の夢は何?」まだ日本研究部に強い恋しさがある私、ただ日本に関する科目を勉強したいので、香港の予備校の日本研究部に入った。

でもどこか感覚が違って、私は全然満足ではなかった。そのとき、KAT-TUNある曲の歌詞の意味を思い出した:『他の人に認められなくも、自分を信じて、やりたいことを最後まで一生懸命にやろう。』わがままと言われる赤西君のように、実はただやりたいことをやる。最初のとき、わたしは大学卒業した後日本へ留学に行くつもりだったが、早めに日本の大学に進学することも悪くないと思い始めた。この平凡な自分でも、何かできる勇気を持っているだろうかと思うと、2011年末予備校をやめて、日本へ留学しに行くことを決めた。

彼らが好きになった日から七年後の今日、先輩はもうKAT-TUNのファンではなくなったが、まだ彼たちのことが好きな私、彼たちの国ー日本に来た。私にとってKAT-TUNとは、今日の私になるきっかけである。

対話

 マンディーさん(以下Mさん)は高校の先輩の大学のクラスメイトだった。ある日、先輩のFacebookで、亀梨君の写真をプロファイルピクチャーにしたMさんを見たと、話をかけて、友達になりました。その後、数回KAT-TUNファンの同士集会であって、仲が良くなってきた。2012年二人で、大阪へコンサートを見に行った。今私のように札幌の日本語学校で留学中。

2013年6月12日(水)六時半頃、Mさんと一緒に亀梨君が主役した映画<俺俺>を見た後、札幌駅の大丸の風月でお好み焼きを夕飯にしたー

[注文タイム]

M:このおすすめセットは安くて、おいしそう。
B
:じゃ、そしよう!このじゃがチーズもおいしそうけど。
M
:それはヤバいくらいうまいよ!
B
:あーチーズを食いたい。

店員:おすすめセットは四人分なんですが、大丈夫でしょうか?
B
M:(驚)
M
:ま、とりあえずおすすめセットにしよう。足りないなら、また頼むから。
B
:うん、オッケー結構あるから、じゃがチーズ今度食べようかな。
M
:そうだね、まだ(映画)見るでしょう。
B
:うん、前売券まだ使ってないから。せっかく机の上に置いてあったのに、急い  で忘れちゃった。

[ダイアモンドハートを訓練された二人]

B:まあ、とにかく本気を出して話しましょうか?
M:何について話せばいい?
B:先生は”強くなる”というテーマを提案した。
M:そうですね。ファンになったと、心もダイアモンドになった。
B:うん、色んなことを受け入れる能力があったね。
MKAT-TUNのファンとしてきついと文句しているけど、実は学んだ事ともらっ事もいっぱいある。
B:これは運命か......

KAT-TUNと直接な関係があるかどうかよく分からないが、確かに、この2,3年間、私の考え方又は価値観はちょっと変わってきた。

単に受け入れるだけではなく、世は無常も分かってきた。世は無常といえば、変わらずに永遠に存在するものごとがないということだ。石、山ですら丈夫な物でも、侵食され、瓦解する日がある。人間が支配できることは、実は非常に少ない。ただ一つの永遠に肯定できることは、変わらない物はない。仏教にはある一言がある:変わるのは永遠である。だからこそ、困難があって、しがたがないとき、認めて今ここで生き続けるだけだ。これと諦め、現実から逃げるのは全く違う考え方だ。今やりたいことを出来るうちにやって、人とものごとを失うまえ大事にするしかない。こいう気持ちを持って、この数年間で色々な厳しい時間を乗り越えた。

[彼達さえいれば、何でもできそうはずだ]

B
:そちは豚肉がある?こちは沢山あるけど
M
:あるわ。そして、我らこれ全部食べ切る自信がある。
B
:そうだね。逆に四人なら足りなしょう。しかも、うちは最近痩せた。
M:そういえば、コンサートがあれば、私必ずダイエットするわ。よくわからない  けど、毎回本尊に会う前、自分に何かクエストを完成させたいね。
B
:会う前努力に何かやりたい感じ?
M
:うん。そして自分一番いい状態で彼らに会いたい。初めてDream Boys(亀梨  君主役の舞台劇)を見る前、二週間で8KGも痩せた。
B
:スゲー。うち絶対できないわ。
M
:原因ははっきり言えないけど、何か強くなってきた。
B
彼達のためにちょっと強くなりたいね。
M
そうしないと、ファンとして失格すると思う。
B:厳しいかもしれないけど、私もそう思う。

なぜこんな厳しいかというと、ここはちょっと記事を読んでみよう。
ドラマの主演に使われるのは、やはりジャニーズの政治的圧力があるのだろうか......
「いえ、そんなことはありませんよ。ひとえに、彼の人柄なんです。『神の雫』でも、視聴率がどんどん低下していったときに、普段はラフな格好でスタジオに入る亀梨クンが、少しフォーマルな格好で来て、みんなの前で『視聴率が悪いのは、全部僕の責任です。でも、最後まで一生懸命やるので、お力を貸して下さい』って頭を下げたんです」(日テレ関係者)
さらに、「現場のADとかカメラさんにも、ひとりひとり頭を下げて回っていましたからね。それで現場のスタッフたちは感動して、その話をいろんなドラマ制作会社の人間に話したみたいで、『日テレはダメだけど、TBSで一緒にやろう!』って言う人が増えて、今回のドラマにつながったそうですよ」

人気グループのスターなのに、力をしっかり尽くし、責任をちゃんと背負う。プローではないのに、スポーツ番組Goingでホームランを出来るために、芸能人のまま諦めずに辛い野球練習もした。亀梨君はこんな人だった。彼のファンとして、自慢すると同時に、彼のような人間になりたい。だから、強くならないと失格すると言っても過言ではない。

その何をやっても一生懸命、必死にやる亀梨君の姿は私の心の底で深く残っていた。納得な大学に入れないや、終わりのない面倒な入学準備と試験があるなど、人生では失意のとき、亀梨君のことを思い出した。彼芸能人としての辛さと比べると、私が今あっている困難は言及する値打ちがない。こうやって考えると、なんとなく我慢できて、押し切れるはずだ。

KAT-TUNの為に日本語を勉強して、留学まできた]

B
:実は、どうしてここへ留学に来たの?
M
:まあ、まず大学を卒業して何をやるか分からなかった。そして今度コンサートのとき、ちゃんと彼らの話が分かるようになりたいから。
B:そうそうそう!MCの時分からなかったと、本当に辛かった。他のお客さんはなぜ笑っているか全然わからなかった。悲しいな。
M:その時まだ翻訳したレポート*見なければならないね。でも今は、少しずつ彼らの対話わかってきて、本当に感動した。自分ここまで行けるのは全然想像しなかった。彼達のことを理解したいなら、日本語を勉強するべきだ。
B
:そう、内容だけではなく、表情やイントネーションも。それはレポートで読めないね。

レポート* 
コンサートに行ったファンたち自発的に書くレポート。内容はコンサートで歌った曲や歌手たち話したごとや歌手の間の交流までもあります。普段はファン各自のブログで載せている文書である。私たち以前日本語が全然分からなかった時代、コンサートに行っても、当時の内容は、翻訳されたレポートがなければ理解できなかった。

[肩を並べて戦う同士]

B
:そろそろファイルを転送しようか?沢山あるでしょう。
M
:全然整理してないので、くちゃくちゃだよ。
B
:大丈夫、四月からのお願い。家に三ヶ月くらいインターネットがなて、困  った。
M
:あら!もしかして、ハードディスクを忘れちゃった。
B
:あら。うちの前売券のように......まあ、また会うから、気にしないで。

引っ越したばかり私は、三か月くらいインターネットなし生活した。そのせいで、KAT-TUNの番組や雑誌のスキャンを全然見られなかった。そのため、Mさんにファイルの転送を頼んだ。

アイドルを追っかけるのは寂しいくらい個人的な事だと思う。違うタイプのファンがて、皆それぞれの価値観がある。無理やりに自分と全く違う考えがある人と気が合えば、すごく大変なことになるかもしれない。だから、自分と大体同じ価値観を持っているMさんがいて、運よいと思っている。情報の交流以外、ファンとしての気持ちを共鳴して、ここまで理解してくれるのはMさんしかいないかもしれない。

[アイドルにとって、ファンという存在は...]

M:アイドルにつて考えれば、理想過ぎてはいけないね(アイドルはファンの期待の通りに生きるのはあり得ないこと)。だけど、単に歌を聞いたり、ドラマを見るだけでは彼達のこと好きになれないかも
B:歌や演技だけではなく、全体の事が好きだね、悪い面も。
M:彼らの精神か信念とか。
B:巨乳の女そうゆうキャラクターを演じしても、好き!(笑)
M:仁結婚したニュースを載せられた後、多くの人に指摘された。沢山ファンもす ぐやめて、彼のことを嫌いになった。私はそんな人の考えが全く分からない。こん な全力に好きだったのに...

特に赤西と亀梨は恋人として二人の事が好きだったファン、「赤西に裏切られた。」と。

B:ファンなんて、なんも知らないくせにこんな事言っては行けないと思う。あの二人又はKAT-TUN全体は実際に何かあったか全然知らないので、批判する資格がない。しかも、彼らはファンの妄想を答える義務もない。
M:一般の人でも、相手のことを愛しているのに付き合えないこともあるでしょう
B:切ないな。

先ほど言った通り、ファンという存在は色んな種類がある。アイドルと一緒にワイワイして楽しむ友達のようなファンや;アイドルを彼氏にして、彼を占有したい彼女系ファンもいる。私とMさんは多分第三型、親みたいなファンだと思う。彼ら楽しいなら楽しくなる、彼ら悲しいなら悲しくなる、ただ大事な子供たちを見守りたいファンだ。彼らの過去を分かっているからこそ、彼たち何をやっても、がっかりさせるでも理解してあげて、応援し続ける。同時に、KAT-TUNも私たちを支えている大切な存在である。

ここはエピソードがある。

2012-3-2 KAT-TUN LIVE TOUR 2012 CHAIN at OSAKA DOME(初日)
アンコールのときKAT-TUNは巨大な風船に乗って出てきた、それと共にデビュー曲REAL FACEのイントロが耳元に響いた。REAL FACEは毎回アンコールの定番と言えるが、一番最初の歌詞、誰も歌わなかった。元々赤西仁が歌う部分、音楽は流れるまま、誰も歌わなかった。そこで、<勇気の花>を聞いて既に泣いてしまったMさんと私は号泣した。仁はもうここにいないという事実が思い浮かんで、切なくてたまらなかったから。そのまえ歌を聞いたときに流れた達成感の涙全く違って、悲しく苦しい涙だ。

そのとき、亀梨君の風船ちょうど我らの正面に来て、他の客はその歌わなかった部分を気が付かなったような必死に手を振っていた。亀梨君はそのワクワクしてる客の中で、異常に泣いている、すごく目立つ我らに気が付いた、我らの悲しさを分かっているとさえ信じている。

アイドルとファンは親しい関係があると言えるだろうか。

[やっぱ、KAT-TUNが好きの原因って...]

B:正直、こんなにアイドルが好きのは二度が無いと思う。
M
:そうだね、これから自分の偶像になるかな!(笑)
B
:今の自分になって、ここにいるのは、ある部分の原因は彼らだ。
M
:アイドルだらけの生活から抜けたいけど、アイドルは私の生活を支えている  ねー
B
:インターネットがなければできるかも(笑)
M:最初のとき、なぜKAT-TUNの事が好きになるというと、彼らが私の目の前と  全く違う、新しい世界を見せてくれた。
B:不良よりむしろ、流れのまにまにじゃなく、自分らしく。
M
:うんうん。
B:今嵐風になっちゃって、もったいないな。
M:ねー皆才能があるのに。最後は仁が早く出てくるのを祈るしかないな。
B
:沖縄で店をやったら、チャンプルーを食べに行って、支持してあげるから。

(笑)

*一年半も活動が無かった仁は、
これから奥さんのふるさと沖縄で店を作るうわさがあった。
 デビューしたばかりのKAT-TUNは古くて、時代に合わないルールを破壊する不良なイメージだった。CDのカバーも主に黒かった。しかし、いつの間に(仁退団したあとかも)そのわがままの姿がなくなって、すごく明るくて、健気で、嵐のようなイメージになった。CDのカバーも黒から白になった。ポジティブは別に悪くないが、それは本来のKAT-TUNではない、何か失った。昔、ちょっと子供っぽい、他人認められなくても自分らしく、踊りも決して揃ってないKAT-TUNをもう一度見たいと思っている。

[対話を終えて]

長い話だった。二時間半も喋ったが、アイドル以外のこともさまざまに話して、KAT-TUNに関することしか載せなかった。ずっと笑い続けたので、他の客にうるさいと思われたかもしれない。でも、話が終わると、二人もなんとなく落ち着いて、未来へ進む自信を少しでも増えてきた。

その晩、黒木メイサは自分のブログで赤西仁と娘の写真を載せた。正直、この前赤西が結婚したことを100%に認めることができなかった。黒木メイサは浮気のニュースに結構出てくるので、あの生まれた女の子は本当に仁の娘なのか疑いがあったが、今事実は目の前にあった。娘さんはお父さんに似ている。全く同じ顔しているので、あのバカニシ(赤西のニックネーム)の娘だ、間違えない。

もう、認めるしか無い。Mさんと話したおかげで、私は意外に冷静だった。写真で写っている仁は輝くように笑っているから、もう、何でもいいわ。この六人は幸せに楽しく生活できるなら、十分じゃないか?


結論

アイドルを追いかけるのはいつも悪いイメージがある。お金と時間がかかってばかり、盲目的に自分と関係ない人物を追いかける愚直な行為だと。私は、アイドルという存在に自分がこんな大きい影響与えられることを全く想像しなかった。しかし、それは悪いことと思わない。いったん感情を払ったらいい記憶や、教訓など、きっと何か貰えると思う。

赤西退団と結婚のショックを受けたとき、最初にKAT-TUNを紹介してくれた先輩と話した。「もしその日紹介してくれなかったら、私は今の悲しさを受ける必要が無いでしょうか。」先輩は「ボクが紹介しなかっとしても、キミとあの人たちも何時何処かで出会うと思う。それはキミが逃げられない運命だ。」と答えた。このレポートを書く時、何回も自分の過去を振り返った。出会って、本当によかったと思う。いまの自分は数年前の自分より少しでも成長しただろうか。自分にも感心した。

私が知ってるKAT-TUNは六人メンバーがいるグループだった。その彼たちが私に大事なことを教えてくれて、今ここの私を作った一つの部分だ。これから、どんな形のKAT-TUNでも、余生ずっと六人を応援すると決意した、後悔せずに。そして、彼らに教えって貰ったことを胸に覚えておく、生き続けるつもりだ。

Mさんに会った一週間立った後…

赤西仁は活動再開するニュースが載せられた。何か、この前の極端的な情熱がなくなうだ。もちろん喜んで、新しいシングルも買うべきだけど、私の感情はもうそんなに引かれやすくない。好きじゃないわけではないが、理性的、安定的になってしまったかな。全身全力に物事を愛して、それが自分の全世界になって、生活の中心になってしまうと、危ないぞ。その中心は崩壊したら、傷だらけになるおそれがあるよ。たまに自分を中心にして、自らを大事にするのも人生の重要な勉強だろうか。この私も自分にも尊敬して、崇拝できる人間になれるじゃないか?これから、他の人を羨まずに、その人たちを目指して、自分が自分の偶像になるわ!


終わりに

 自分はアイドルについて、こんな長い文章を書けるのが思わなかった。

 最初に一人で日本語の授業を受けるのを知った時、不安だった。どんな先生、どんな形の授業だろか。ずっと書き能力を上げたかった私は、<OOと私>という論文のタイトルを聞いた瞬間、KAT-TUNのことを書きたくて、とりあえず書こう、と思った。

 この論文を書いた通り、KAT-TUNのおかげで、私は十分強くなってきたと思った。事実は、そうではなかった。ちょうどこの授業を始まったばかりの頃、私と9ヶ月付き合った彼氏に振られた。結構大きいショックだった。赤西は私の距離があって、彼が結婚しても、私は妄想する余地がある。しかし、自分の彼氏、こんな近い人のことは、逃げそうもない。そんな残酷なことを立てかける力が全然なかった。そこで私の日常生活や情緒、健康まで混乱になって、非常に脆い人間になってしまった。強人間、ダイアモンドハートなん、やはりまだまだだね。一回実戦して、何も残さず破壊された。

 ただ、この数月間、論文を書きながら、先生と色々なことを話した。日本語だけではなく、個人的な問題までも。その過程で自分のことも繰り返して考えた。この論文のために、その勇気満々な自分を思い出された。確かに、やり直せる、改善の余地もあった。映画<俺俺>の中心の通り、「ゼロになるのは、勇気が必要だ」。今の私はつまずかれたが、自分の力で立って、初心忘るべからずに夢を叶うまで、進め続きたい。人と人、国と国の架け橋になるように。

 矢内先生、いつも励ましてくれて、ありがとうございました。このコースを受けて、本当によかった。



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